富士山が見える。病院生活の始まり。
いよいよ明日から入院という11月の下旬の日は、私も実家で過ごした。姉は育休中でもあるので、今後は実家で父と甥と暮らして毎日母を見舞ってくれるつもりだそうだ。
色々な書類にサインしたり持ち物を準備したりしているうちに夜になり、私が家に帰る段になって、玄関まで母と姉が見送ってくれた。
「今日一緒にいてくれてありがとうね。明日から、行ってくるね」
母が言う。泣いている。思わず母の手を握る。
「私たちがついてるから、不安だろうけど寂しくはさせないから、一緒に頑張ろうね」
私も答えながら、涙声になってしまった。
3人で涙を流しながら抱き合う。
病気のことを聞いてから、きちんと母を抱きしめるのは初めてだった。今後は、もっと手を握ろう。肩を抱こう。抱きしめよう。それでお互い不安が和らぐのなら。
県立がんセンター。
ふもとから大きな富士山を見やる時、この大きな建物が視界に入るようになったのは何年前からのことだったか。
覚えていないのは、がんセンターが、自分の生活とは関係のないものだったからだ。
まだ新しく、綺麗な建物。
4Fの造血幹細胞移植棟は全棟無菌室状態で完備されている。
抗がん剤の始まる前、まだ無菌エリアから一般エリアに出ても許される限られた日、家族みんなで上階のレストランへ行った。天気がいい。大きな富士山が見える。
私たちの育った景色だ。私が小さな頃から、またきっと母の小さな頃からも、何も変わらない。
横を見れば、0歳の孫を抱く61歳の幸せな女性がいる。
穏やかの時間の中で、それなのに胸の下のあたりがずっしりと暗く重い。
病気とはこういうものか。
大切な家族が病気だということは、何をしてても、これが最後だったらどうしようという不安が付きまとうことなのだろうか。