書き留めるということ。
「嫌なことや悲しい出来事は、残るのが嫌だから、書き残さない。」
そういう考え方を教えてくれたのは姉だった。
あれは私が中3の時、姉が高1でオーストラリアに留学している時だったか、電話か手紙でそんな会話をした。後になって思えば、姉は留学先で、いつかになって思い出すこともしたくないような嫌なことがたくさんあったのだろう。でも当時の私は、自分は自分で学校という小さな世界でいっぱいいっぱいだったので、そこに気づいてやることは出来なかった。
その代わり、姉の言葉に納得して、自分も日記を書く時にはネガティヴな出来事は書かないように決め、以来ずっとそうしてきた。(媒体はT.M.Revolutionの手帳からmixiからほぼ日手帳へと変化はあったが)
しかし今、無菌病棟の一室で、担当医師の話を一心に書き留めている姉がいる。
母が白血病になった。
そのことは私にとって悲しく嫌な出来事でしかなかった。
病名を告白された日から、日記など書いていなかった私はメモ帳も持たずにその部屋へ出向いたけれど、それは間違っていた。
これは向き合わなきゃいけない事なのだ。
なんとなく記憶にとどめないように仕向けてやり過ごせるような事ではないのだ。
悲しくて怖いけれど、書き留めて、受け止めて、考えて、家族として知っておくべきことやすべきことは知識なしにはあり得ないのだ。
私はいつも姉に学ばされる。
やっと鮮明になる頭で、そんなことを思った。